ひさびさに西川口駅周辺行った 看板も店構えも全部 嘘みたいだなと思った 昨日に引き続きskipシティ国際Dシネマ映画祭2024に行った チューリップちゃん すごく良かった 見れて良かった
おれは大学2年になってすごく ここではないどこか への欲望や憧れや(希望)を持っていて、本当にどのかに行ってしまいたいと思っていた そしてそれは かつてのおれにとっては自分の中に潜り込む行為で、今の俺は映画や本の中に飛び込む行為で近づいている でもチューリップちゃんはこの世界が好きで、 おれは一度でも現実に生きたっけ?と思う エンディングの曲で涙出てしまった もう一度聴きたいな 明日も行こうと思ってたけど、もう疲れたからいいや 帰る 2日間で思ったことは 映画は悲しいなということ 終わってしまうし 同じ空間で同じ時間一緒に観ていても、なぜか共有していたという感じがしない それは単なる光だから?目を閉じれば空気が振動しているだけだから? それはライブも一緒だけど、ライブは演者とも時間や空間を共有している 映画は過去を観ている?
止められるか、俺たちを を観た 終わった後白石監督の話聞いた こういう商業映画作ってる人って、もう感覚が大衆向けというか、商業映画監督として納得したものを作ってるのかと思い込んでいたけど、葛藤しながら、折り合いをつけながら作っていると聞いて驚いた。完成したものは、初めの時点で詰め込んだ伝えたいことの10%もないって言っていた バレないように隠すと言っていた
なんというか 映画とは会話ができないという感じがある 本はそのスピードの主導権は自分にある 音楽は目を閉じても浴びることができる 映画は こちらから歩み寄らないといけない し それらは過去に撮られ、編集されて作られてある。映画が終わると、登場人物も、今まであった時間も空間も、急にどこにも存在しなくなる